歴代韓国大統領の「末路」「逮捕」「読み方」「任期」とは?

歴代大統領

今回は今注目されている韓国の歴代韓国大統領の名前の読み方や任期など簡単な事から大統領を辞めたあとの末路や逮捕されたことなど気になることを紹介していきたいと思います。

現在、大韓民国(以下、「韓国」と言います)の大統領は、「文在寅(ムンジェイン)大統領」です。

就任は、2017年5月10日になり、2019年6月現在で2年超の在任になります。

通常何も無ければ任期は2022年(令和4年)まで現職を続投することになります。

この文在寅(ムンジェイン)大統領で19代目の韓国大統領となり、韓国大統領の歴史はそう長くはありません。

私たち日本でも、隣国の大統領と言うこともあり、その去就についていろいろ報道されたりしてその内容を知る機会が多くあります。

しかし、韓国大統領の任期は5年間と他国に比べて比較的長い期間職に就いていることから、韓国大統領職の辞任後の動静を知るのは5年に一度となるケースが多いようです。

そのため、日本やアメリカ等の首長のように退職後円満に余生を過ごしている方々ばかりだと思っています。

しかし、韓国大統領経験者は、現在の文在寅(ムンジェイン)大統領より以前に17人の韓国大統領経験者(再選大統領がいるため経験者数と歴代数が異なります)が並びます。

これは、臨時就任した韓国大統領を含まない人数になります。

その方々のほとんど全てが、何らかのアクシデントに見舞われており、決して幸せな余生とは言えない方々が多い歴史になっています。

表題にも書きましたが「末路」という言葉にピッタリな状況の韓国大統領経験者が非常に多いと言うことです。

ここでは、こうした歴代韓国大統領の足跡を辿りながら、その終焉を具体的に見て行き、最後になぜそのようなことが繰り返されるのかについても若干考察してみたいと思います。

また、以下では西暦表記だけでは日本人の我々として実感が湧かないため、和暦を併記することで読者の皆様にも日本の当時のイメージを持っていただける工夫をしています。

初代~第3代韓国大統領「李承晩(イ・スンマン)大統領」の末路

1948年(昭和23年)7月に韓国国会議員による間接選挙によりこの国始まって以来初めて選出された初代韓国大統領です。

その後、同年8月に「大韓民国」として建国されたことにより、同月8月には憲法が改正され、国民の直接選挙により韓国大統領として正式就任しました。

この時の憲法改正で、韓国大統領の任期は4年になっていましたが、韓国大統領職の三選禁止という条項も撤廃されています。

その後、1956年(昭和31年)8月に再選されますが、大規模な不正選挙により1960年(昭和35年)に失脚することになり、アメリカへの亡命を余儀なくされる結果となりました。

李承晩(イ・スンマン)大統領の統治した韓国での政体を現在では、「第一共和国」と言います。

李承晩(イ・スンマン)大統領の場合、日本では「李承晩(りしょうばん)ライン」という日本海から東シナ海に至る自国領海の境界線を李承晩(イ・スンマン)大統領独自の考えで無理矢理に設定した韓国大統領としても知られており、この時代の負の遺産として、現代でもまだ竹島(釣魚島)の領有権問題が残存しています。

李承晩(イ・スンマン)大統領の歴史を振り返れば動乱期の韓国でもアメリカ留学などを経て政界で巨大化したことで最高位の韓国大統領に就任したと言えます。

しかし、後年アメリカへの亡命を余儀なくされるほど不正選挙への国民の指弾が厳しく、亡命直前の1960年(昭和35年)4月には死者186名にも及ぶ「四月革命」と言われるデモ隊と警察隊の衝突が発生しました。

その結果として、李承晩(イ・スンマン)大統領は同年5月にはハワイに亡命することになってしまいました。

その後1965年(昭和40年)7月に韓国に一度も帰国することが出来ず、アメリカにおいて90歳で客死することとなりました。

李承晩(イ・スンマン)大統領の場合、初代韓国大統領から第3代韓国大統領を務めたことになっています。

正式には不正選挙が指弾された結果選挙無効の判断が司法として下されています。

末路としては母国を失ったと言えます。

第四代韓国大統領「尹潽善(ユン・ボソン)大統領」の末路

1960年(昭和35年)7月29日に韓国国会議員両議院から韓国大統領として選出されました。

この時には韓国政界における新旧の争いが激化する中、旧派の指導者である尹潽善(ユン・ボソン)大統領は野心がないように行動、新派の指導者からも容易に支持を取り付けることが出来たと言う経緯で韓国大統領に就任しました。

翌年1961年(昭和36年)5月に発生した軍事クーデター(5・16軍事クーデター)により国家再建最高会議が結成され、政権を軍部が掌握されるに至りました。

しかし、その温順な政治姿勢を買われ軍事政権の要望により憲法停止下において大統領職に留まることとになりました。

しかし、翌年1962年(昭和37年)には、軍事政権が制定した政治活動浄化法に抗議する目的で下野することになりました。

その後、野党議員として種々活動する中、1976年(昭和51年)他の国会議員(中にはその後大統領となる金大中氏もいました)で「3・1民主救国宣言」という政策を発表したことで、政府から「憲法秩序を破壊しようとする非合法活動である」と厳しく非難されて「緊急措置9号」違反として立件され、実刑判決を受けることになりました。

その後、尹潽善(ユン・ボソン)大統領は1990年(平成2年)7月に満92歳で死去することになります。

尹潽善(ユン・ボソン)大統領の場合、国際的な外交問題などにはあまり顔を出さないため日本における認知度も低い結果になっていますが、韓国内では第二共和国時代と軍事政権という2体制の下で韓国大統領となり、在職約1年半という短さも影響し「韓国大統領としての末路」とまでは言えないまでも、韓国大統領経験者でも野党議員として晩年実刑判決を受けたことではやはり「末路」という表現が合うかもしれません。

第五代~第九代韓国大統領「朴正煕(パク・チョンヒ)大統領」の末路

朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の場合、1961年(昭和36年)7月に前韓国大統領が下野したことに伴い、軍事政権下で国家再建最高会議議長に就任しました。

これがその後永らく国家元首として長年韓国を統治するに至る初めになりました。

議長職から韓国大統領には、1962年(昭和37年)に就任し国家元首となりました。

以下、簡単にその後の略歴を記載します。

国家元首(韓国大統領)に就任した翌年1963年(昭和38年)12月には新憲法下で民政に復帰した韓国にあって、国民による直接選挙により韓国大統領に就任することになりました。

ここに第三共和国が始まりました。

その4年後の1967年(昭和42年)7月に国民の直接選挙により韓国大統領職に再選されました。

この時に、当時の憲法を改正し三選禁止条項を撤廃することになりました。

さらに4年後の1971年(昭和46年)7月に再び国民による直接選挙の結果、韓国大統領職に再々選されました。

翌年の1972年(昭和43年)10月には、「十月維新」と呼ばれる非常事態宣言(大統領特別宣言)を発表しました。

これにより、国会の解散や政党・政治集会の中止などを決定、韓国全土に非常戒厳令が発令されることになりました。

この事で、韓国大統領による独裁色が強まることになりました。

韓国におけるクーデターの歴史では、先に紹介した「5・16クーデター」に続くいわゆる「自己クーデター」として歴史に刻まれています。

この動きにより朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は、当時物議を醸していた「金大中事件」など韓国中央情報部 (KCIA) による反政府運動の鎮圧を行ったとされています。

この十月維新の2ヵ月後1972年(昭和43年)12月に憲法改正により、統一主体国民会議が間接選挙を実施し、新憲法下で「維新体制」という呼称を標榜し韓国大統領独裁を強化するに至りました。

この為、この時代を第四共和国としていますが、「維新体制」とも呼ばれています。

この体制は、6年間継続し更に1978年(昭和49年)12月に統一主体国民会議による間接選挙により再任されることになりました。

しかし、翌1979年(昭和50年)10月にソウル特別市で、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領と車智澈大統領府警護室長が金載圭大韓民国中央情報部部長によって殺害されてしまいます。

この暗殺事件を「10・26事件」と呼ばれたり「朴正煕暗殺事件」とも呼ばれます。

まさしく長期独裁政権を指導した韓国大統領の末路になりました。

この朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の暗殺をもって、維新体制と呼ばれる体制は終焉を迎えるに至りました。

朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の場合、第五代~第九代韓国大統領に就任した訳ですが、在任期間は1963年12月から1979年10月に至る約15年以上もの長きにわたりました。

最終的に、暗殺された韓国大統領として記憶に留めておられる方も多いと思いますが、退任することなく在職中の殺害されたと言う意味では、悲惨な末路を辿った韓国大統領と言うべきでしょう。

第10代韓国大統領 「崔圭夏(チェ・ギュハ)大統領」の末路

さて、韓国大統領も10代目を数えることになりました。

崔圭夏(チェ・ギュハ)大統領の場合は、韓国大統領経験者としては唯一本人や家族・親族の全てにおいて難を逃れた韓国大統領になりました。

在任期間が歴代韓国大統領の中では最短と言うこともあり、政敵や、民間との癒着を行う時間が無かったという識者もいます。

簡単にその略歴をご紹介します。

崔圭夏(チェ・ギュハ)大統領は1971年(昭和46年)に外交担当特別補佐官として着任し、4年後の1975年(昭和50年)に国務総理(首相)となりました。

1979年(昭和54年)10月に朴正煕(パクチョンヒ)大統領が暗殺され、その大統領権限代行となりました。

この時には、有力者である金鍾泌(キムジョンピル)に次期大統領を依頼したが、当の本人が固辞されたため仕方なく、12月に韓国大統領に就任し約8ヶ月間在任したと言う経緯を辿っています。

更に、「粛軍クーデター」というクーデターにより軍内部の実権を奪取した全斗煥(チョンドゥファン)・盧泰愚(ノテウ)らによって、軍部に政権を掌握され、辞任するに至っています。

その時には、全斗煥(チョンドゥファン)の粛軍クーデターを追認せざるを得ないという事態になりました。

その後、大統領退任後も国政諮問会議議長を務めるなど、政界でも活動をつづけることになりました。

しかし、程度の差こそあれ、退任直後には韓国国会における「光州事件」特別委員会の出席要求や任意同行命令などに対して拒否姿勢をとったため、国会侮辱罪などで刑事告発されるという事態になりました。

結果的には起訴猶予処分となったため難を逃れたと言うことになるのでしょう。

韓国では、自身の意思に関係なく韓国大統領就任、辞任等を行わされた「悲運の韓国大統領」という呼び名で呼ばれる韓国大統領でもあります。

人生の終末は、2006年(平成18年)10月に急性心不全のためソウル特別市で87歳で死去しました。

第11代~第12代韓国大統領 「全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領」の末路

先代の第10代大統領「崔圭夏(チェギュハ)」大統領が、辞任に追い込まれた後、半月ばかり朴忠勲(パクチュン)氏が臨時代行しましたが、その後1980年(昭和55年)9月より全斗煥大統領が就任しました。

日本では「ぜんとかん」という呼び名で報道されていたので、この呼び名の方が慣れている方も多いと思います。

韓国大統領に就任した年の9月以前には、陸軍中将で大韓民国中央情報部(KCIA) 部長署理、国家保衛立法会議の常任委員長で、その後陸軍大将になり予備役に編入し韓国大統領就任になりました。

この時には政体として軍事政権下となっています。

その1年後の1981年(昭和56年)3月に憲法改正により韓国大統領選挙人団による間接選挙で第12代韓国大統領として選出されるに至りました。

この時から第五共和国性という時代になりました。

この時代1984年(昭和59年)には、歴代韓国大統領の中で初めて日本を公式訪問したことでも当時の報道を賑わせました。

しかし、1988年(昭和63年)2月に韓国大統領辞任、国家元老諮問会議議長に就任したのを絶頂期として、不正蓄財と利権介入が発覚し、私財の国庫献納と隠遁生活に入ることになりました。

更に、1996年(平成8年)には「粛軍クーデター」、「光州事件」等により、韓国大統領退任後に死刑判決を下され、その後高等裁判所で無期懲役に減刑された経緯があります。

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その後、特赦を受けることになりました。

しかし更に、2006年(平成18年)には過去に受けた叙勲をはく奪されると言うことになっています。

この時には、合わせて170名に上る過去の叙勲者からの剥奪となっています。

全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領は2019年現在存命しています。

全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領の場合、親日的な政治姿勢もあり日本でもその名を聞いたことのある方々も多いと思います。

末路的には2015年(平成27年)には、アメリカ合衆国が全斗煥(チョンドゥファン)元大統領に係る全一族の隠し財産を韓国に返還することで合意したとの報道がありました。

やはり、生命の危険は無かったものの、カネも名誉も剥ぎ取られた末路になってしまいました。

第13代韓国大統領 「盧泰愚(ノ・テウ)大統領」の末路

全斗煥(チョンドゥファン)大統領に替わり、1988年(昭和63年)2月に憲法改正された結果、韓国国民による直接選挙で大統領に選出されました。

盧泰愚(ノ・テウ)大統領の場合、韓国最後の軍人出身の韓国大統領になりました。

在任中の1990年(昭和65年)には、大韓航空機爆破事件の実行犯である金賢姫(キム・ヒョンヒ)死刑囚に対し特赦を行ったことで話題になりました。

また韓国での最大懸案事項であった、朝鮮統一問題において1991年(平成3年)9月には、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との国際連合南北同時加盟を実現させ、同年12月に南北基本合意書を締結すると言う事業を成し遂げています。

その後任期満了に伴い、1993年(平成5年)2月に韓国大統領退任しました。

その後盧泰愚(ノ・テウ)大統領は1995年(平成7年)に政治資金隠匿が発覚し拘束されることになりました。

一審の裁判では、無期懲役刑になり、同年ソウル拘置所に収監されることになりました。

その後、盧泰愚(ノ・テウ)大統領は控訴審では懲役15年、2628億ウォンの追徴金の判決になりました。

「粛軍クーデター」、「光州事件」でも再捜査を求める世論が起こり、金泳三大統領により再捜査が命じられました。

1996年(平成8年)から捜査が開始され、翌1997年4月に最高裁判所は懲役17年、追徴金2688億ウォンを宣告されましたが、同年12月に特赦されると言う波乱万丈の流れを示しました。

しかし、盧泰愚(ノ・テウ)大統領の場合ここでは終わらなかったのです。

その後、随分年月が経過した2012年(平成24年)6月には、盧泰愚(ノ・テウ)大統領自ら大統領在任中に作った秘密政治資金の一部を、長男の妻の父親に預けたとして、検察に捜査を依頼した事件がありました。

そのためか、同年12月には、不正蓄財や追徴金未納などに不満を抱いた男によって大邱市内の生家が放火されたりしました。

翌年の2013年(平成24年)9月には、未納となっていた追徴金230億ウォンについて、親族が代納すると発表し、同じく追徴金の未納があった全斗煥元大統領側も、完済を発表しました。

2019年現在も盧泰愚(ノ・テウ)大統領は存命です。

盧泰愚(ノ・テウ)大統領の末路に関しても、政治とカネの問題が辞任後にも継続して長期間続いており、末路としては貧しい状況にあると言えます。

第14代韓国大統領「金泳三(キム・ヨンサム)大統領」の末路

前韓国大統領に替わり1993年(平成5年)2月に国民の直接選挙により韓国大統領に就任しました。

金泳三(キム・ヨンサム)大統領の統治時代には、北朝鮮との国交悪化、アジア通貨危機におけるIMF(国際通貨基金)への援助要請により、国民の不興を買ったという事態が発生しました。

その後1998年(平成10年)2月には、そのままの状態で任期満了し、韓国大統領辞任となっています。

金泳三(キム・ヨンサム)大統領の場合、政治とカネの問題はほとんど無く、政策の方向性に関して韓国国民の不興を買うと言うことで評判の良くない韓国大統領として上げられています。

例えば、1999年(平成11年)6月に金浦空港に到着し、沿道の人々と握手をしていた時、71歳の男がペンキ入りの卵を金泳三(キム・ヨンサム)大統領の顔に投げつけたと言う事件が発生しました。

この時には、金泳三(キム・ヨンサム)大統領の顔とスーツが真っ赤に染まった姿が全世界のメディアに流される結果になり、一時期は騒然としました。

非難の矛先は金泳三(キム・ヨンサム)大統領に向い、「金融危機を招き、国を危機に陥れた罪を償い、深く反省しなければならない」とし、「IMF事態にまで国を滅ぼした金泳三は、国民に対して謝罪しなければならない」という内容が主張され、一部の国民の間には同調する雰囲気があったことはまだ記憶にある方も多いと思います。

金泳三(キム・ヨンサム)大統領の末路としては、韓国国民から不評を買ったことが上げられますが、2015年(平成27年)11月にソウル大学病院で敗血症及び急性心不全で死去しました。

享年87歳になっていました。

親日家でもあり、日本語を上手く使いこなし、退任後は早稲田大学の特任教授も行った人ですが、末路としてはそんなにひどいものではありませんでした。

第15代韓国大統領「金大中(キム・デジュン)大統領」の末路

金泳三大統領に続き、1998年(平成10年)5月に第15代韓国大統領に就任しました。

金大中(キム・デジュン)大統領の場合には、韓国大統領任期である5年間を全うし、2003年(平成15年)2月に退任しました。

その実績についても、「太陽政策」を推し進め、2000年(平成12年)6月に当時の北朝鮮の金正日総書記との南北首脳会談を実現したことでも有名になりました。

さらにはこの事で、在任中にはノーベル平和賞を受賞した唯一の韓国大統領として人気を博しました。

しかし、韓国大統領の退任後は政界から距離を置き自身の名を冠した図書館などの運営に勤しんでいました。

しかし、病気などに苦しめられ、2009年(平成21年)7月に、持病ともういうべき肺炎を発症し、翌月にソウルにて多臓器不全のため死去するに至っています。

享年85歳でした。

この時、韓国史上2人目になる国葬が行われたことでも話題になりました。

現在の韓国大統領である「文在寅(ムン・ジェイ)大統領」(後述)が政界入りするきっかけとなった韓国大統領でもあります。

この韓国大統領は、末路と言うよりも、韓国大統領在職前に見舞われた数々の不運が有名で、国会議員の時の暗殺未遂事件、拉致監禁事件などがあり、日本でも「金大中事件」という名称を聞かれた方も多いと思います。

本稿のテーマである「末路」的には、病死ということで一般人の平均寿命から考えて特に変わりない終焉を迎えたと言えるでしょう。

第16代韓国大統領「盧武鉉(ノ・ムヒョン)」大統領の末路

前大統領の金大中大統領に引き続き、2003年(平成15年)に国民による直接選挙で韓国大統領に就任しました。

一時期、政権内部での抗争により弾劾裁判にまでなった時期もありましたが、国民の支持を得ることが出来、任期である2008年2月まで韓国大統領職を全うしました。

こうして紹介すると難なく退任後も過ごしたと言うイメージになりますが、決してそうではありません。

2008年2月に退任した後の2008年11月に側近の一人が贈賄容疑で逮捕、また実兄の盧建平が証券会社「世宗証券」の買収を韓国農協幹部に働きかけ、約20億ウォン(約1億3000万円)相当の見返りを得ていた疑惑が浮上し逮捕にまで至っています。

更に迂回献金問題、政治資金問題などが次々に発覚し、翌年2009年(平成21年)8月には、元秘書官が大統領特殊活動費を着服したことや、支援者から金品を受け取ったことで横領と収賄罪で懲役6年の実刑判決を受けるに至っています。

最終段階では、盧武鉉(ノ・ムヒョン)自身も捜査対象となり、2009年4月に韓国最高検察庁が合計600万ドル(約6億円)を超える不正資金疑惑について、包括収賄罪の容疑で本人に事情聴取を行うことになりました。

悲惨なのがその後ですが、最終的には飛び降り自殺を選んでしまったことは、元韓国大統領が自殺と言うニュースをご覧になった方々も多いと思います。

最後の遺書には、「政治、するな。得られものに比べ失わなければならない事のほうがはるかに大きいから。」、「韓国大統領になろうとしたことは間違いだった」と韓国大統領になったことを後悔する文章を残してこの世を去りました。

その結果、前韓国大統領の場合は「国葬」にしましたが、それに次ぐ「国民葬」に付し韓国国民の同情を得ました。

2017年(平成25年)に韓国内で実施した世論調査では、48.7%の圧倒的な国民的支持を得て、歴代大統領の中でも好感度1位に選ばれたことで盧武鉉(ノ・ムヒョン)の評価が後世良くなっていると言って良いでしょう。

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第17代韓国大統領「李明博(イ・ミョンバク)大統領」の末路

2008年(平成15年)に前韓国大統領の職務停止に伴い臨時代行である「高建(コ・ゴン)氏」に続き、国民の直選挙で選ばれた韓国大統領になります。

年代も今日に近くなってきているので覚えている方々も多いと思います。

李明博(イ・ミョンバク)大統領の場合、日本の大阪市出身の在日韓国人として育った経歴を持っています。

その時の日本名を月山 明博(つきやまあきひろ)と呼ばれていました。

韓国では建設会社社長を経て政界入りしました。

末路的には、2013年(平成20年)に韓国大統領任期を全うした後のことになります。

2018年にソウル中央地裁により収賄や横領などの罪を問い、懲役15年、罰金130億ウォンの判決が言い渡されました。

韓国における大統領経験者で検察当局により収監されたのは、全斗煥、盧泰愚、朴槿恵(後述)に続き4人目になりました。

彼らの共通点は、全員が保守派・右派の政治家であることが上げられます。

また、李明博(イ・ミョンバク)大統領に対しては、サムスン財閥などから約1,000万ドル相当の資金を不正に受け取った罪などが問われたことも今後の末路に係る大きなファクターになりそうです。

これは昨年2018年の話であり、現在進行形の末路である事から確定的なものはありません。

過去からの経験では、懲役刑が特赦により減刑されることは大いにありますが、罰金などの財産系の没収は免れないように考えられています。

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第18代韓国大統領「朴槿恵(パク・クネ)大統領」の末路

2013年(平成25年)2月に国民の直接選挙により韓国大統領に選出されました。

朴槿恵(パク・クネ)大統領の場合、韓国で初めての女性韓国大統領であり、また第五代~第九代の韓国大統領を務めた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の愛娘でもありました。

韓国で初めての親子2代での韓国大統領となったわけです。

しかし、ご多聞に漏れず、朴槿恵(パク・クネ)大統領の場合も韓国大統領職在職中から末路を辿って行くわけです。

詳細を見てみましょう。

韓国大統領就任後4年目の2016年(平成28年)10月に、友人でもある 崔順実(チェ・スンシル)氏の国政介入問題が発覚しました。

近年のことですので記憶に留めている人も多いと思います。

いわゆる占いやシャーマンとしての彼女の言動に従った国政を運営したと言う疑惑です。

この事をいわゆる「崔順実ゲート事件」と呼びます。

これにより朴槿恵(パク・クネ)大統領の支持率は急落することになりました。

そして、11月には3回目となる談話で韓国大統領任期の短縮を含む自らの進退をすべて国会に委ねる意向を表明することになりました。

その結果、翌月の12月には、韓国国会で弾劾訴追案が可決され、弾劾訴追議決により韓国大統領としての職務が停止されてしまいました。

弾劾訴追の結果として、憲法裁判所が弾劾に関しては妥当という判断を下し、韓国大統領職から失職することになりました。

さらに、退任後、韓国大統領任期間中には国内最大の財閥・サムスングループから将来の支払い約束分も含めて日本円で43億円余りの賄賂を受け取ったとされる収賄疑惑によっても逮捕されることになりました。

翌年2017年(平成29年)2月には、特別検察官が国政介入疑惑における収賄を認定、3月には憲法裁判所により韓国大統領職の罷免が決定されました。

しかし、この罷免だけに終わらず、ソウル中央地方裁判所に彼女の逮捕状が請求され逮捕されるに至りました。

これは、韓国大統領の中では、3人目の逮捕者ということになりました。

同年4月に起訴、5月の初公判が開始されました。

翌2018年(平成30年)2月の公判で検察側は懲役30年、罰金1,185億ウォンを求刑、ソウル中央地方裁判所は4月に懲役24年、罰金180億ウォンの有罪判決を宣告しました。

その後は収監に絶えない病状などを訴えはしたものの、すべて却下され、2019年(令和元年)6月現在でもなお、収監され続けています。

第19代韓国大統領「文在寅(ムン・ジェイン)大統領」の末路

2017年(平成29年)5月から現職の韓国大統領で、未だその末路は未確定ですが、退任後の状況は過去の歴代韓国大統領の実績からどのようになるのかが注目されるところです。

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まとめ

以上のように、韓国の歴代大統領の末路を含めた各々のその後を列挙しました。

国際社会の中でもこれだけ多くの国家元首が、その末路が悲惨な経過を辿る国は珍しく奇異に感じる方々も多いと思います。

制度面では「5年任期」「国家権力の絶大な掌握を可能としている」ことから腐敗を招きやすいとする説があります。

また、文化面では、朝鮮半島の歴史的文化を反映して、「近くの他人よりも遠くの親戚」という言葉に代表される「身内偏重」の思想などが原因としている説もあります。

韓国における司法の問題も指摘されるところがあります。

日本との間で懸案になっている戦時徴用工や従軍慰安婦などの諸問題にも如実にその性格が出ています。

つまり、司法判断が大衆迎合的なものになっているケースが散見されます。

これにより、一旦韓国大統領経験者でも在任中の韓国大統領であっても一般世論が指弾の手を緩めない状況では、その流れに棹を指す考えを採り判決に結び付ける場合があります。

また、隣国韓国においては、首相制度では無く大統領制度を採用していることから、その権限が絶大過ぎると言うことも大きいと思われます。

日本の場合、相互監視体制や護憲活動等により早々憲法改正が行われませんが、上述のように韓国大統領が変われば憲法が変わると言うほどに改憲が相次ぐ国も珍しいと言わざるを得ません。

皆さんは、隣国韓国のこの動きに関してどうとらえられたでしょうか。

歴代大統領 韓国
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