FRBとは?利下げ利上げの影響、議長、金利、株主

FRB

皆さんは、FRBをご存知でしょうか。

アメリカの政策金利を決定する非常に重要な機関であり、利上げの決定や利下げの決定によって経済に様々な変化をもたらします。

今回はFRBがどのような機関であるのか、そして利上げと利下げに伴う影響、歴代議長や金利といったことについて詳しく紹介していきたいと思います。

また、それと合わせて株主の存在の有無についても説明します。

FRBの概要

FRBとは、米連邦準備理事会(The Federal Reserve Board)のことを指します。

略称が同じアルファベット三文字であるFRB(Federal Reserve Bank:連邦準備銀行)もありますが、今回、特に断りがなければ連符準備制度理事会のほうを指すものとします。

FRBはFRSの最高意思決定機関です。FRSはFederal Reserve System:連邦準備制度のことを指します。

これは、アメリカにおける中央銀行の制度のことです。

FRSは1913年に設立され、前述のFRBのほか、FOMC:連邦公開市場委員会と、12の連邦準備銀行から成っています。

FRSはFederalという単語からFedと呼ばれることもあります。

FRBは主に公定歩合の変更や後述するFFレートの変更といったことを行っています。

FRBが開く会合に、FOMCと呼ばれるものがあります。

これは、Federal Open Market Committee:連邦公開市場委員会の略称で、アメリカの金融政策やFFレートの誘導目標決定などを決定する機関となっています。

FOMCは年に8回開催されています。

FRBの議長(現在、および歴代議長について)

FRBには、連邦準備制度理事会と呼ばれる理事会が存在し、FRBを統括しています。

連邦準備制度理事会は理事7名で構成されています。

その中から議長と副議長が任命されるシステムとなっています。

なお、議長と副議長の任期は4年間と定められています。

FRBの議長は、2020年1月現在で16代目のジェローム・パウエルとなっています。

まず歴代議長の名前を記したいと思います。

第1代がチャールズ・S・ハムリン、第14代はアラン・グリーンスパン、第15代がジャネット・イエレン、そして第16代がジェローム・パウエルとなっています。

歴代議長に関するより細かい情報は後述します。

まず、第1代のチャールズ・S・ハムリンからです。

1914年8月10日に議長に就任し、1916年8月10日に就任し、その後1916年8月9日まで議長を務めていました。

ハムリンは連邦準備法下で連邦準備制度理事会が使命を達成するための組織を構築しました。

また、ハムリンが議長を務めた際の理事会は、政策の決定について消極的であったことが知られています。

それは、財務省が政策について指示できるようにしたためです。

第2代議長はウィリアム・P・G・ハーディングです。

1916年8月10日に就任し、1922年8月9日まで議長を務めていました。

第3代議長のダニエル・R・クリシンジャ―は1923年5月1日から1927年9月15日まで議長を務めています。

クリシンジャ―は、低金利でクレジットを提供し易くすることに焦点を当てた方針を進めていました。

第4代議長はロイ・A・ヤングです。

ヤングは1927年10月4日から、1930年8月31日まで議長を務めています。

ヤングが議長を務めている最中の1929年には、ニューヨークの株式市場で株価が大暴落しています。

ヤングは金融政策に影響を与えるようなアプローチを取りませんでした。

彼は主に銀行のシステムを強化することをメインに行いました。

それは、ヤングが伝統的な銀行の活動が重要であると考えていたためです。

銀行のシステムに関しては、具体的には通貨の発効や国際取引の決済などを行いました。

第5代議長はユージン・マイアーです。

彼は1930年9月16日から1933年5月10日まで議長を務めました。

不特定多数の人が集まり資金のやり取りや有価証券の売買を行う市場のことを公開市場と呼び、マイア―はこの公開市場での購入の支援を行い、銀行システム改革の推進も実施しています。

また、綿の価格促進のために余剰綿の購入も行いました。

第6代議長はユージン・R・ブラックです。

ブラックは1933年5月19日から1934年8月15日まで議長を務めました。

ブラックは大恐慌の際の議長として、銀行のシステムへの信頼を回復するための政策を支持しました。

また、彼は復興金融会社設立のための法律推進も行っています。

復興金融会社とは、1932年にフーバー政権下で設立された融資機関です。

大不況の最中であったアメリカにおいて、存立が危ぶまれた企業に対して緊急融資を行うことを決めました。

この融資期間は連邦政府の機関であり、資本金としては政府資金を活用することとされました。

第7代議長はマリネア・S・エクルズです。

彼は1934年11月15日から1948年1月31日まで議長を務めました。

エクルズは1935年に新しい銀行法を成立させます。

1933年には、グラス・スティーガル法と呼ばれる連邦法が成立していました。

これは、銀行の健全化や預金者の保護といったことを目的とする法律でした。

1935年

第8代議長はトマス・B・マッカーベで、議長を務めたのは1948年4月15日から1951年3月31日となります。

1949年から1950年の間、連邦準備制度とアメリカの財務省間では軋轢が発生していました。

当時景気は後退していましたが、政府の借り入れの支援は継続していました。

これに反対の意を唱えて、アメリカ財務省とFRB間で合意がなされることとなりました。

合意内容としては、政府の債務管理を金融政策から分離するというものであり、これによって現代のFRBの基礎にあたる部分が築かれました。

第9代議長はウィリアム・マチェスニー・マーティンJr.です。

議長を務めたのは1951年4月2日から1970年1月31日となります。

マーティンは、単一指標をターゲットとした政策を好まず、幅広い経済情報を調査した結果をもとに政策決定を行いました。

それゆえ、彼の判断の多くはFOMCの全会一致で支持されていました。

第10代議長はアーサー・F・バーンズです。

議長は1970年2月1日から1978年1月31日まで務めていました。

バーンズはインフレには反対であったものの、結果的に彼の政策がインフレを発生させてしまったと言われています。

バーンズは歴代FRB議長の中でも特に政治色の強い議長であったと評されており、そちらへの関心が重くなったために1975年から1978年にかけて金融の引き締めを十分に行うことができず、インフレを招いてしまったとされています。

第11代議長を務めていたのはG・ウィリアム・ミラーで、任期は1978年3月8日から1979年8月6日でした。

先のインフレを抑制するために利上げを実施していましたが、議員からの大きな反発を呼び、利下げを行うこととなってしまいました。

上記の通り、在任期間が非常に短いFRB議長となっています。

第12代議長はポール・A・ボルカーで、議長を務めていた期間は1979年8月6日から1987年8月11日でした。

彼は、1970年代にアメリカで発生していたスタグフレーションを終息させた業績で知られています。

それを達成したのが、ポルカー・ショックと称される金融引き締め政策でした。

第13代議長を務めたのはアラン・グリーンスパンで、任期は1987年8月11日から2006年の1月31日と、それまでの議長と比較して非常に長い期間を務めていたことがわかります。

グリーンスパンはFRB議長の中でも特に有名な人物として知られています。

1991年3月から2000年2月にわたる非常に長い景気の拡大をもたらした人物とも評されます。

ネガティブな評価としては、リーマン・ショックへと繋がるサブプライムローン関連の事象の放置や金融の規制緩和が挙げられています。

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FRBの利上げ・利下げおよびその影響

第14代議長を務めたのはベン・S・バーナンキで、2006年2月1日から2014年1月31日まで議長を務めていました。

2013年にはバーナンキの発言をきっかけとして、後述する量的緩和策が縮小していくこととなりました。

第15代議長はジャネット・イエレンで、議長を務めていたのは2014年2月1日から2018年2月3日までとなります。

後述する、量的緩和策の第3次にあたるQE3の買い入れを終了したことが知られています。

そして、先に述べたようにFRBの理事会は理事7名によって構成されていますが、イエレン前議長が退任したことで、7つのポストのうち4つが空席という状況になりました。

ジェローム・パウエルが現在のFRB議長としてアメリカの上院にて承認されたのは2018年1月23日のこととなります。

トランプ大統領がパウエル氏を次期議長に指名されたのは2017年11月のことで、それから数ヶ月後のこととなりました。

パウエル氏は元弁護士で、その後ブッシュ大統領就任時には財務長官を務めるなどの経歴がある人物です。

2018年2月5日に、パウエル氏は正式にFRBの議長に就任することとなりました。

FRBの設定する金利

まず金利についてですが、これは大きく二つに分類することができます。

一つが政策金利、もう一つが市中金利です。

政策金利は、例えば中央銀行が金融政策の目的を示すために設定する金利のことで、誘導目標金利とも呼ばれます。

市中金利は後述する短期金融市場のような、市場で決まる金利のことを指します。

FRBの設定する金利は前者の政策金利に当たり、FRBの設定するこの金利のことを、FF金利(フェデラル・ファンド金利、FFレートとも)と呼びます。

FF金利が設定される目的としては、短期金融市場の操作が挙げられます。

資金の貸し借りが行われる市場のことを金融市場と呼びますが、その市場のうち1年以内の短期の貸し借りを行う市場のことは短期金融市場とされます。

ちなみに、1年を超える市場のことを長期金融市場と呼び、短期金融市場と区別されています。では、短期金融市場を操作するのはなぜでしょうか。

それは、例えば景気が上昇、過熱気味である場合を考えてみましょう。

この場合、過熱し過ぎてバブルのような状態になるのを抑制するために誘導目標金利を上げます。

金利が上がることで、資金の貸し出しが鈍ることとなります。

そうすることで経済にブレーキをかけることが可能となります。

逆に、景気が減速している時には誘導目標を下げます。

こうすることで資金の貸し出しを行いやすくなり、経済が活発に動くようになるというわけです。

冒頭で述べたように、FRBの開催する会合であるFOMCにてこのFF金利は設定されます。

そして、発表された値が市場の予想と異なる場合には世界の金融市場に影響を及ぼすことさえあります。

実際にどのような影響が発生したのかは、次の項目で詳しく説明したいと思います。

FRBの利上げ・利下げおよびその影響

ここからは、FRBがこれまで行ってきた利上げ・利下げについて紹介し、それによってどのような影響があったかという説明をしていきたいと思います。

これまでのFRBの利上げ・利下げで影響が大きかったものについていくつかご紹介したいと思います。

具体的には大恐慌に関する公定歩合の引き上げ、アメリカの長期にわたる景気拡大をもたらした利上げ、アジア通貨危機を受けての利下げ、ITバブル崩壊に伴う多数の利下げ、それにより生じた住宅バブルを受けての利上げなどが挙げられます。

大恐慌の最中の公定歩合引き上げ

大恐慌が起こったのは1929年のことで、その後世界的に影響が広まりました。

1931年10月、FRBは利上げを実施します。

利上げをした理由としては、金の流出です。

当時のアメリカは、金を通貨価値の基準とする金本位制を採用していました。

金の流出が起こった原因としては、同年9月にイギリスが金本位制からの離脱をしたことを挙げることができます。

これをきっかけとして、アメリカも将来的に金本位制から離脱するのではないかと考えられるようになります。

その結果ヨーロッパの国がドルを金に交換する動きが急速に起こり、金が流出する事態となったのです。

これを受けたアメリカは、金の流出を抑制するため公定歩合の引き上げを行いました。

また、この時金融の引き締めも合わせて行われています。

大恐慌中のアメリカではデフレスパイラルが発生しており、そこに公定歩合の引き上げと金融引き締めが起こったため多くの銀行が破綻する事態となりました。

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アメリカの長期にわたる景気拡大に繋がった利上げ

1990年頃、アメリカは若干の景気後退局面に陥っていました。

資本主義経済においては、景気の拡張期と後退期が波のように繰り返されています。

そのうち、景気が後退に向かう曲面のことをリセッションと呼びます。

この状態で迅速に動かなかったとしてFRBが非難されることもありましたが、その後景気は回復傾向に移りました。

しかしこの時点でグリーンスパンはインフレを懸念して、公定歩合を3.0%に引き上げます。

これは予防的利上げと呼ばれました。

その後1995年の2月の利上げ(5.25%)に至るまでに5回の利上げが実施されました。

これだけの利上げを行ったにも関わらず、アメリカの景気は順調に成長していきました。

予防的利上げが功を奏したのです。

アジア通貨危機を受けての利下げ

アジア通貨危機とは、1997年7月にタイのバーツが暴落したことをきっかけとして発生した通貨危機です。

タイのバーツが変動相場制に移行し、実質的な通貨切り下げとなった影響が東アジア諸国へと広がりました。

アメリカへの経済への影響を防ぐために、グリーンスパンは利下げを実施しました。

政策金利はこれによって9月5.5%、11月には4.75%まで引き下げがなされました。

結果としてアメリカ経済は打撃を受けず、むしろ大きな成長を見せることとなりました。

1999年頭には経済成長率の上昇、失業率の低下など、良い影響が現れたのでした。

ITバブルより始まった一連の流れ

1990年以降に起こったITバブルは2000年代初頭に崩壊し、それを受けてFRBは大幅な利下げを行いました。

2003年には当時史上最低の1%になっていたのです。

この超低金利状態が住宅バブルを引き起こす1つの要因となったとみられています。

その後利上げがなされますが、続いては住宅バブルが崩壊し、リーマン・ショックへと繋がります。

そして、リーマン・ショック後の2008年12月に大きな利下げを行いました。

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2008年9月時点での金利は2.00%、10月と11月は1.00%でしたが、2008年12月に0.25%への引き下げを行ったのです。

ここから長期にわたってこのゼロ金利政策が続くこととなります。

このゼロ金利政策が一因となって、アメリカの経済は徐々に上方へと向かっていくこととなりました。

2008年からの失業率の推移を見てみましょう。

2008年は5.80%だった失業率が、リーマン・ショックの影響を受けて2009年には9.28%にまで上昇します。

その後、2010年の9.61%をピークに、徐々に失業率は減少していきます。

2014年時点では6.16%と、リーマン・ショック以前の状況へ徐々に戻りつつある状態となりました。

しかし、全て良い方向に進んでいるというわけではありませんでした。

FRBは利下げに加えて、大きな金融政策も実施してきました。

例えば、量的緩和金融政策がそれに該当します。

量的緩和策はQuantitative Easing:QEとも呼ばれるもので、景気や物価を支えるために市場に資金を投入する金融緩和政策です。

FRBはこの後3度にわたって量的緩和策を取ることとなります。

第1次は2008年11月から2010年6月に実施されたもので、QE1や信用緩和などと呼ばれています。

QE1ではアメリカ国債や後述するMBS等合わせて、合計1兆7250億ドルの資金投入が行われました。

続くQE2は2010年11月から2011年6月まで行われました。

QE2では6000億ドルのアメリカ国債が買い取りされました。

合計の金額で言うとQE1のほうがQE2よりも多いですが、アメリカ国債に限って比較してみると、QE1が3000億ドル、QE2が6000億ドルですので国際買い取りについては多くなったということがわかります。

続く、そして最後の量的緩和策となったQE3は2012年9月から2013年12月まで実施されました。

QE3で投入された合計は1兆1800億ドルとなっています。

先に述べたようにこの量的金融緩和政策でアメリカの経済は回復へと向かいましたが、量的緩和策によって市場にドルが多く流入、格差が広がっているといった声も聞かれるようになりました。

それを受けてFRBは金融緩和を終了することを決定しました。

2015年12月16日連邦準備理事会は実に9年半ぶりとなる政策金利の引き上げ

これによりFF金利の誘導目標は0.25%から0.50%へと引き上げられました。3回の量的緩和を経たアメリカ経済が回復に向けて新たなスタートと切ったと言える出来事です。

翌年2016年12月14日には、全会一致で一年ぶりの利上げを行うことも決定しています。利上げ幅は0.25%で、FF金利は0.75%まで上昇することとなりました。

この時公表された声明によれば、労働環境と物価上昇率の実績および見通しを踏まえて利上げを行うことを決定したとされています。

2016年のアメリカの失業率は4.88%と、前年5.28%からも減少し、リーマン・ショック以前の水準に戻った状態となっていました。

2017年イエレン議長が量的緩和策の終了決定

量的緩和策を導入した2008年から9年が経っていました。

この期間の間、FRBは金融政策の正常化を図っていました。

量的緩和策においては、アメリカ国債と住宅ローン担保証券を主として買い入れていました。

住宅ローン担保証券は、Mortgage Backed Securities:MBSと呼ばれ、住宅ローンの債権を証券化したものとなります。

住宅ローンを契約した段階において、貸し手には借り手側から「お金を返す権利」を得たこととなります。この権利を証券化して取引できるようにしたといいうものです。

特にアメリカにおいては広く取引がなされており、2013年途中でも住宅ローン担保証券は約8兆ドル発行されています。

前述した量的緩和策の第1次ではMBSは1兆2500億ドル、第3次では6400億ドルの買い取りがなされました。

FRBが買い取ったアメリカ国債、およびMBSをそのままにして状態で利上げを行っていくと、含み損が生じるおそれがありました。

含み損とは、保有している有価証券が値下がりによって、売却した場合に損益が生じる状態のことを指します。

利上げを続けることによって金利が上昇、それによって価格が低下することからこのような現象が生じるものとみられました。

そうするとアメリカ国内に留まらず世界経済にも影響を及ぼすおそれがあると推測されたため、イエレン議長、またFRBは資産の縮小に着手していました。

翌2018年には、計4回もの利上げが実施されました。

失業率も前年からさらに減少し3.89%となっています。

パウエル議長は金融危機以降で2018年は最も良い1年であるとも述べています。

この時点で、2019年の利上げペースを落とす想定が立っていました。

FRBは2019年のうちに、二度の利上げを行うことを想定していましたが、最終的には三回の利下げを実施することとなりました。

2019年初の利下げは、7月30日および31日に開催されたFOMCにて決定されました。

具体的には2.25~2.50%から2.00%~2.25%へ0.25%の引き下げを行いました。

この利下げは2008年12月以来のこととなります。

超低金利から脱却して利上げが続いていたアメリカでしたが、ここで利上げが打ち止めになった格好です。

この利下げを巡っては、FRB内においても賛成と反対に分かれていたことが明らかとなっています。

7名のうち2名が反対票を投じていたようです。

そして、同年9月に再び利下げが決定され、0.25%政策金利が引き下げられることとなりました。これにより政策金利は1.75~2.00%となります。

この9月の利下げにおいても、前回7月の利下げと同様に、7名中2名が反対したことがわかっています。

2019年9月時点でのアメリカの失業率は3.5%と、継続して低い水準となっていますが、なぜ利下げを行ったのでしょうか。

その疑問に対しては、パウエル議長が、現在進行形のリスクに保険を掛けるためと述べています。

現在アメリカは、中毒との間で貿易摩擦が発生しています。

発端となったのは、2018年にアメリカが中国からの輸入品の一部に追加関税を課すことを決定したことでした。

これを受けて中国側が報復措置的にアメリカに対して関税を課し、それを受けたアメリカがさらに追加関税を行うという貿易戦争に発展しました。

2020年1月15日には、アメリカと中国の政府双方が、貿易交渉の第1段階の合意文書への署名を行っているため、進展がないわけではありません。

しかし、アメリカと中国間の貿易摩擦が解消するかの見通しは未だ立っておらず、今後も厳しい状態が続くことは間違いないと考えられています。

パウエル議長が上記の声明を出した段階でももちろん貿易摩擦は解消されておらず、経済に影響を与えるのは必至とみたと考えられます。

そして2019年10月30日のFOMCにおいて、2019年3度目の利下げが行われました。

これによりFF金利は1.50%~1.75%へと引き下げられています。

この利下げの理由としては、9月の時と同様に中国との貿易摩擦にまつわるリスクを警戒した保険が挙げられます。

パウエル議長は今後の金利に関しては、政策スタンスは今の状態が適切であると発言しており、金融政策は一旦見送られるという見方が強まっています。

先に述べたように、アメリカと中国間における貿易摩擦は未だ収束しておらず、アメリカの経済がどう動いていくのか、ということについて非常に重要な要素となっています。

FRBはこの問題を注視しながら今後の金融政策を決定していくでしょう。

FRBの株主

FRB(連邦準備制度理事会)は政府の機関であり、株主は存在していませんが、FRB(連邦準備制度理事会)が統括している組織であるFRB(連邦準備銀行)は株式を発行する法人であり株主が存在しています。

表記が同じなため混同されやすいので、両者の区別に注意が必要です。

この項目では、連邦準備銀行と、その株主について詳しく紹介したいと思います。

連邦準備銀行は、アメリカの連邦準備制度を構成している中央銀行です。

アメリカ国内を12に区分し、その区域ごとに連邦準備銀行が設置されています。

第1地区がボストン連邦準備銀行、第2地区がニューヨーク連邦準備銀行、第3地区がフィラデルフィア連邦準備銀行、第4地区がクリーブランド連邦準備銀行、第5地区がリッチモンド連邦準備銀行、第6地区がアトランタ連邦準備銀行、第7地区がシカゴ連邦準備銀行、第8地区がセントルイス連邦準備銀行、第9地区がミネアポリス連邦準備銀行、第10地区がカンザスシティ連邦準備銀行、第11地区がダラス連邦準備銀行、第12地区がサンフランシスコ連邦準備銀行となっています。

このうち、最も重要な働きをしているのが第2地区のニューヨーク連邦準備銀行です。

そして、これら12の連邦準備銀行下にはおよそ7500に及ぶ加盟銀行が存在しています。

連邦準備法の第5条には、株式についての記載があります。これによると、それぞれの連邦準備銀行の資本は100ドルの株式に分割されており、連邦準備銀行に対して株式を申請する銀行は、払い込み済み資本ストックの6%および申請する銀行の余剰分に連邦準備銀行の資本ストックの額に応じる必要が生まれます。

資本ストックとは、社会や企業の保有している設備のことを指します。

資本は資本金・株式払込剰余金・利益剰余金から構成されています。

資本金は株式を発行することで獲得した資金のことを指します。

そして株式を額面以上の金額で売却した際の差額が株式払込剰余金、利益剰余金は会社の利益を積み立てた資金のことを指します。

さて、株式についてはこのような取り決めとなっていますが、株主についてはどうかと言いますと、実は株主情報は非公開にされているのです。

そのため、どのような企業が連邦準備銀行の株主となっているかは不明というわけです。

まとめ

FRB(連邦準備制度理事会)はアメリカの中央銀行にあたる制度であるFRSの最高意思決定機関であり、公定歩合やFFレート(政策金利)の決定を行う機関となっています。

利上げ・利下げで特に代表的なものには2000年代初頭のITバブル崩壊に伴う多数の利下げ、それをきっかけに発生した住宅バブルと利上げと言えるでしょう。

これを一つの要因としてリーマン・ショックが発生したと言われています。

リーマン・ショック後の2008年12月から実施されたゼロ金利政策も非常に特徴的な利下げであったと言えます。

0.25%という非常に低い金利はその後2015年12月まで継続することとなりました。

2020年2月現在、FRBの議長を務めている人物はジェローム・パウエルです。

歴代議長の中でも特に有名なのは第13代議長であるアラン・グリーンスパンと言えるでしょう。

FRB(連邦準備制度理事会)は政府機関であるため株式は発行していませんが、FRB(連邦準備制度理事会)の統括しているFRB(連邦準備銀行)は株式を発行しています。

連邦準備銀行の株主については非公表となっているためどのような企業が株式を所有しているかは不明となっています。

FRBは政策金利を決定し、それによりこれまでアメリカの経済は様々に変化していきました。

マイナスの影響となったこともありましたが、リーマン・ショックから現在の状態にまで景気が回復したのもFRBあってのことと言えるでしょう。

アメリカの経済にとって非常に重要な機関であるということは疑いようのない事実と言えるでしょう。

FRB
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