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中国経済を統治している歴代中国主席とは?中国最高指導者

中国

今回は、巨大中国経済である「中華人民共和国」について、その統治者である歴代中国主席について特集してみます。

読者の方々は、中国と言えば何をイメージするでしょう。

身近に感じられるのは、「爆買いをする来日中国人観光客」とか、「アメリカトランプ大統領との貿易戦争」といったイメージあると思います。

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しかし、その中国の実態について正確に理解している日本人は少ないのではないでしょうか。

そこで、まず中国の最高統治者である歴代主席をご紹介する前に、関単に現代の中国はどれだけの規模感をもっている国なのかということをご紹介したいと思います。

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(1)現代中国の概況

2019年現在で確認できる中華人民共和国についての概況を簡単にご紹介しておきましょう。

①中国国土人口

2019年現在における中国の人口はおよそ13億99百万人です。

この人口は、2011年の国際連合経済社会局発表の「世界の人口2011年版」のデータで、13億58百万人でしたので、10年近くで5千万人もの人口が増加していることになります。

2010年度統計では、世界人口が約69億46百万人でしたので、世界人口の約20%が中国人ということになります。

つまり、全世界の5人に1人は中国人ということになります。

無論、この人口は、世界No.1人口の国になっています。

ちなみに、世界第2位はインドで、12億24百万人(2019年:13億74百万人)、第3位がアメリカで3億14百万人(2019年:3億32百万人)となっています。

日本は、第11位で1億27百万人(2019年:1億25百万人)になっています。

中国がどれほどの人口規模かお分かりいただけると思います。そうした巨大中国を率いるリーダーこそ中国主席なのです。

②中国国土面積

上に示しました人口を擁している中国の国土面積は、9,634千㎢とロシアとカナダに次ぐ面積であり、世界第3の広さを誇ります。

なお、ロシアは、17,098千㎢、カナダは9.985千㎢に上ります。

第四位にはアメリカの9,833千㎢があります。

日本は、世界第62位で378千㎢になっており、ドイツ(358千㎢)とほぼ同じ面積になっています。

国土面積の巨大さトップ3の国々は、いづれも中国を含め、その多くの土地がツンドラ地帯であったり、砂漠であったりとするため一概に国土面積だけで優劣を決めることはできませんが、現代社会では国土が広ければ広いほど、当然「国境線」が長大になりそれを維持する軍事力の背景が必要になります。

そうしたことからも、アメリカを後背国にもつカナダを例外とし国土面積の広い国は軍事大国が多くなっています。

③中国政治体制

中国はその長い歴史の中で、中国の諸民族を率いる「中国共産党」が新民主主義革命によって官僚資本主義の支配(蒋介石政権)を覆し、中華人民共和国を建国、中国共産党一党独裁による共産政権になりました。

これは、多くの共産党主導型の国が破綻し、緩やかな資本主義になる中、中国の場合も共産党一党独裁を堅持しつつも、緩やかな民主主義になって来ているという見方もあります。

しかし、現代では「香港(ホンコン)」「澳門(マカオ)」の問題で一国二制度によってで国政を維持しています。

この政体維持のために中国の歴代主席も多くの事件を起こしたり、巻き込まれたりしてきました。

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(2)中国最高指導者である主席とは?

上のように中国とは人口、国土においては、世界でもトップレベルの国になります。

近年では、単に大国であると言うだけではなく、国際政治においても群を抜いた国になっています。

近年特に「一帯一路」構想を前面に掲げて、アジアから東欧にかけての経済圏構想を打ち出しています。

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また、アメリカ合衆国トランプ大統領との貿易戦争も予断を許さない状況が持続しています。

そんな中に合って、国際的にも国内的にも中華人民共和国としての「顔」として立つ主席とはどんな人物なのかについてご紹介します。

まずは歴史的概要、その選出方法、主席の持つ権限等に分けてご紹介します。

①中国の歴史的な権力概要

中国の最高指導者である主席に関しての歴史的な権力概要をご紹介します。

中国の歴史は「中国4千年」というように非常に長い歴史があります。

世界4大文明の一つ「黄河文明」発祥の地域でもあり、その歴史的長さを論じても膨大な量になります。

ここでは、中華人民共和国の主席の歴史的概要ということで、その時代時味の権力構造の歴史的転換点についてご紹介します。

まず、現代の中華人民共和国の政治体制については、その憲法に明記され、中国共産党が中国の国家を「領導」するとして、中国共産党の党首が国家の最高指導者であるとされています。

なお、この「領導」とは、役職の上下を前提とする指導と言うほどの意味になります。

つまり、「中国共産党中央委員会総書記」という役職が国家元首になります。

そこで、少々複雑なのですが中国には4つの権力者が存在します。

つまり、以下の役職者が各々実権と責任を持っています。

・ 中国共産党党首としての「党中央委員会主席」

・ 国家元首としての「中央人民政府主席」

・ 行政府首相としての「政務院総理」

・ 軍の統帥者としての「共産党中央軍事委員会主席」

これらの中でも、中国共産党の党首である主席が最も権力が大きいと言うことになります。

中国共産党の創始当時は、「毛沢東(後述)」が1949年(昭和24年)から1976年(昭和51年)までの間。中国共産党の党中央委員会主席として君臨しました。

この時「中央人民政府主席」、「共産党中央軍事委員会主席」も兼ね、唯一「政務院総理」には「周恩来」が就いていました。

この時期に強大な中国共産党支配が構築されました。

それ以降、この4つの最高権力の座には様々な人物が就き、概ねこの体制が今も堅持されています。

つまり、行政府首相としての「政務院総理」には有力者を置くものの、その他の「党中央委員会主席」、「中央人民政府主席」「共産党中央軍事委員会主席」の3役には同一人物が就いています。

「毛沢東」の後任である、「華国鋒」主席の場合は、この行政府首相としての「政務院総理」を空席のままとし、他の3ポジションを彼自身で占めました。

その後、鄧小平氏が統治した時代には、胡耀邦主席、趙紫陽国務院総理等が歴任することになり、党中央軍事委員会主席として鄧小平氏が就きました。

後ほど詳細に記述しますが、権力バランスで言えば、唯一主席の地位に就くことなく実質的なNo.1となりました。

続く、党中央委員会総書記として最高権力者となった江沢民氏、胡錦濤氏、それに現在も続く習近平氏は、毛沢東時代と同様に行政府首相としての「国務院総理」以外のポストに就いています。

②中国最高指導者である主席の選出方法

上のように歴史的な概要をご紹介しましたが、この制度による中国主席選出方法はどのようなものになっているのかをご紹介します。

まず、中国主席選出方法を決めた現行憲法は1982年(昭和57年)のもので、中国主席には、中華人民共和国における公民(国民)の資格があり、選挙権および被選挙権を有する満45歳以上の者が、全国人民代表大会を経て国家主席に選出されるとしています。

当時の中国主席の任期は5年で、2期10年までとする任期制限がありましたが、習近平氏により2018年3月に撤廃されました。

これにより、習近平主席が終身の主席であり続ける可能性がることになりました。

実質的な選出方法は、国家副主席と合わせて、全国人民代表者大会(全人代)における大会による投票選挙を行い、全議員の過半数の票を獲得した者が中国主席となります。

なお、この「全人代」に参加する人たちは、中国共産党党員や党の軍事組織である人民解放軍の人達で構成されています。

そのため、形式的には全人代での投票により決定されるとされていますが、中国共産党中央委員会によって行われていると言えます。

③中国主席の持つ権限

選出された中国主席が持つ権力とはどれほどのものなのでしょうか。

そこで、中国主席の持つ主な権限についてご紹介します。

中国主席の持つ権限は、大きく分けて以下の4つに分けて説明されています。

なお、全ての権限は、名目上「全国人民代表大会常務委員会の決定に基づいて」行われることになっています。

・法律公布権

・人事権

・命令権

・外交権

その名の通り法律公布権は、全国人民代表大会および常務委員会の決定に基づき、法律を公布する権限のことで、2018年の習近平主席の下、憲法改正が行われたのもこの手続きによって実施されました。

また、人事権は国務院総理の指名権を筆頭に、以下のそれぞれの任免権を有します。

国務院総理、副総理(副首相レベル)

各部部長(大臣レベル)

各委員会主任(大臣レベル)

監査長(会計監査長)

秘書長

更には、叙勲の権限等も合わせて持ちます。

命令権は、特赦の発布、宣戦布告と動員令の公布になっています。

最後の外交権については、中華人民共和国を代表して国事活動を行い、外国使節を接受する権限を持っていると言うことになります。

また、海外駐在全権代表である特命全権大使や公使の派遣・召還を行うことが出来るとともに、条約や重要協定の批准や廃棄を行う権限を有しています。

中国では独裁を防止するために全ての権限に、「全国人民代表大会常務委員会の決定に基づいて」という大前提が付与されています。

つまり、国家主席は国家元首として「中華人民共和国の代表ですが、中国共産党による一党独裁体制を堅持しているために、中国共産党の党首である中国共産党総書記が事実上の最高指導者という位置付けになっています。

民主主義経済の中にいる我々日本人には想像しにくい内容ですが、一党独裁的な国家にはよくある内容になっています。

例えば、ロシア等はほぼ良く似た政治体制と言えるでしょう。

したがって、国家主席の権限は、政治上の実権を有しないものの、国家を領導することが憲法で定められている中国共産党の最高指導者が兼任することによって、国家主席に政治的実権が付与されている。

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(3)歴代の中国最高指導者にみる在任期間と功績・内実

それでは、中国における歴代の主席に関して各々詳述したいと思います。

参考資料や文献によれば、上に説明した、「党中央委員会主席」、「中央人民政府主席」、「政務院総理」、「共産党中央軍事委員会主席」が混在して説明しているものがあります。

ここでは在任期間で最も権力・権限を持っていた人物を主席として紹介したいと思います。

中華人民共和国が建国して以来、現在の習近平主席に至るまで六代の主席が輩出されていますので、それぞれご紹介しましょう。

①毛沢東(「もうたくとう」、中国語発音「マオ・ツォートン」)

中華人民共和国発足当時の最高権力者として世界的に有名な人物です。

毛沢東(もうたくとう)の場合、先ほどの4つのポジションで言えば、党中央委員会主席、中央人民政府主席、党中央軍事委員会主席を兼務しました。

残る政務院総理には当時は周恩来(しゅうおんらい)氏が着任していました。

後このポジションの総称を「国務院総理」と呼ばれるようになりました。

毛沢東(もうたくとう)の場合、第一次国共内戦、日中戦争、第二次国共内戦と軍事活動の中で生き残った権力者であり、1949年10月に中華人民共和国を建国宣言を行いスタートを切っています。

無論それ以前、つまり内乱や戦争以前には共産党員として既に頭角を現していたことが、中国主席の座に繋がっていると言えます。

中華人民共和国の近現代の歴史を学ぶ人にとっては不可欠な人物で、中国主席として中国のトップに立った在任期間は、1949年(昭和24年)~1959年(昭和34年)の実に10年にも及びました。

中華人民共和国の建国当初は、「新民主主義社会の建設」を目標に、穏健で秩序ある改革を進めていましたが、1952年(昭和27年)社会主義への移行を表明。

翌年1953年(昭和28年)より当時のソビエト型の社会主義計画経済を模範として第一次五カ年計画を発表・開始し、農業集団化などの社会主義化政策を押し進めました。

第一次五カ年計画は、重化学工業への投資で高い経済成長率を達成し、当時の中国のGDPも同じく戦後復興期にあった日本よりも高かったことはあまり知られていません。

これにより毛沢東の独裁的政治が始まったと言えるでしょう。

その後、1954年(昭和29年)には全人代(全国人民代表大会)が設置され、中華人民共和国憲法が制定されました。

更に1958年(昭和33年)には、大躍進政策を発動しましたが、失敗に終わりました。

これにより、中国国内では大きな批判が巻き起こる結果となりました。

同時に当時のソビエト連邦とも対立するに至りその権力は一時期失墜しました。

しかし、文化大革命を機に大きく毛沢東自身が神格化され、絶大な権力を再び手にすることになりました。

更に、米中間の接近や日中国交回復などを経るに至り国際的にも注目を集めました。

毛沢東に関する現在の評価や読み方について、毛沢東の在任終了直後とその後では、現代ではややニュアンスが異なります。

私たちの関係する現代ではどう評価されているのでしょうか?

中国の北京に一度でも観光に行かれた方は、天安門広場に掲げられた毛沢東の巨大な肖像画をご覧になった方々も多く、中国に関するニュースでも必ず出てくる印象があります。

つまり、毛沢東の尊厳を冒すような行為は許されないというのが、現在の中国国内における一般認識になっているようです。

一般的に中国国民の感情を言えば、文化大革命を経験した世代は毛沢東を手放しで賞賛する人は少ない傾向にありますが、直接文化大革命を経験していない若者世代はそれほど否定的ではないとされています。

中華人民共和国の歴史から見て、今後もその評価や読み方は変わって来ると思いますが、2019年の現代に合ってはそのようになっています。

②華国鋒(「かこくほう」、中国語発音「ホワ・クオフォン」)

毛沢東の死後、中華人民共和国の最高指導者となった人物です。

役職は、中国共産党中央委員会主席、中央軍事委員会主席、国務院総理(首相)などを務めた実績を持ちます。

在任期間は1976年(昭和51年)~1978(昭和53年)年と比較的短い2年余りの在任期間でした。

前任の最高権力者である毛沢東が中国共産党主席在任のまま死去したことを受けて実権を握りました。

つまり、文化大革命の主導者の江青(こうせい)や張春橋(ちょうしゅんきょう)らの四人組を逮捕し、毛沢東の死後に激化していた共産党内における派閥対立を解決し、文化大革命を事実上終結させたという功績が高い人物です。

これにより、党中央委員会主席および党中央軍事委員会主席に就任し、1966年以来11年にわたった文化大革命の終結を宣言することになりました。

しかし、自身の依って立つ権力基盤が非常に弱く常に彼は、毛沢東の威光を借りて行動をとった点は仕方がないと評価されています。

文化大革命についての評価を華国鋒(かこくほう)は、是々非々の立場を表明しましたが、かつて実権派として失脚・迫害されていた鄧小平氏らからの強い批判を浴びることになってしまいました。

その後、1978年(昭和53年)に中国共産党のトップとしての実権を鄧小平に奪われ、1980年(昭和55年)に首相を、そして翌1981年には党主席を辞任することになりました。

華国鋒(かこくほう)の評価については、四人組ほど急進的でなかったものの、「文革色」の残る政治家であり、鄧小平氏(後述)らと権力闘争を展開し、最終的に追い落とされて失脚させられたとされています。

しかし、華国鋒氏の場合には、血みどろの酷い権力闘争の渦に巻き込まれたわけではなく、その後も、2002年(平成14年)に引退するまで、中国共産党中央委員を務めることになりました。

一方、海外メディアの露出は無くなり、国内でもその動静を知らせる報が少なかったようです。

一方、ある程度の政治的活動は認められていたと考えられています。

これは、鄧小平らとの権力闘争に敗れることを予測し、泥沼の争いを回避して身を引いたことが中国の混乱を防いだとして、鄧小平氏らからも一定の評価を受けたためとされています。

③鄧小平(「とう しょうへい」、中国語発音「ドン・シャオピン」)

華国鋒主席が、わずかな期間で実質上権力の座から退いたことを受けて最高指導者である中国主席のポジションに着いた人物で、改革開放や一人っ子政策などで毛沢東時代の政策を転換し、現代中国の路線を築いたとの評価をされています。

1978年(昭和53年)~1989年(昭和64年)と約10年間権力の座に就いていました。

鄧小平(とう しょうへい)の主席就任以降の業績等をご紹介します。

鄧小平(とう しょうへい)は、文化大革命で混乱した人民解放軍の整理に着手しました。

科学技術、教育再建に積極的に取組み、全国普通高等学校招生入学考試を復活させました。

また、日本との関わり合いでは、日中平和友好条約の批准書交換で、中国首脳として初めて訪日し、中国の指導者としては初めて昭和天皇と会見しました。

この日本訪問で鄧小平(とう しょうへい)が目の当たりにした日本の経済力、特に科学技術での躍進振りは、後の改革開放政策の動機になったと言われています。

中国主席就任の翌年には、米中国交が正式に樹立されました。

前年に実施した訪日での見聞や、この時の訪米で後進国であるイメージの中国を意識した鄧小平(とう しょうへい)は、改革開放の強力な推進を決意したとされています。

その証左に、広東省の深センをはじめとする経済特区を設置したことにも見られます。

鄧小平(とう しょうへい)の採った外資導入による輸出志向型工業化政策は、大成功であったと言われています。

鄧小平氏の有名な言葉に、「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」という「白猫黒猫論」が有名です。

しかし、一方この改革開放について、「窓を開けば、新鮮な空気とともにハエも入ってくる」という発言にも示されているように全面的にプラスに働いたわけではありませんでした。

その後、1986年(平成63年)には「第二次天安門事件」が勃発、彼は、武力弾圧に反対した趙紫陽(ちょうしよう)の解任を決定し、武力弾圧を行った江沢民(こうたくみん:後述)を党総書記へ抜擢する人事を行いました。

その後、公には党中央軍事委員会主席の職も江沢民に委譲しましたが、以後も鄧小平(とう しょうへい)のカリスマ的な影響力が持続し、1992年(平成4年)には、「南巡講話」という有名な主張を行いました。

これは、経済発展の重要性を主張し、ペレストロイカによるソビエト連邦の解体などを例にとって「経済改革も和平をもたらす政治改革につながる」と主張する党内保守派に対して、これを厳しく批判した内容でした。

これにより、「中東には石油があるが、中国にはレアアースがある。中国はレアアースで優位性を発揮できるだろう」と述べ、現在では世界の97%も独占的に供給することになる路線を決定づけました。

以後、中華人民共和国は急速な経済発展を進めることになりました。

鄧小平(とう しょうへい)の採った改革開放路線は、中華人民共和国にとって超高度成長をもたらしたことは間違いありません。

しかし、天安門事件などの負の遺産を残したことは世界的に有名ですが、現在の中国国内ではあまり話題になっていないのが事実です。

④江沢民(「こう たくみん」、中国語発音「チャン・ツェーミン」)

鄧小平主席の引退後に共産党中央委員会総書記、共産党中央軍事委員会主席、中国国家主席、国家中央軍事委員会主席を歴任した人物です。

在任期間は、1989年(昭和64年)~2002年(平成14年)になり、前任の鄧小平氏よりやや長い期間である14年間もの間最高権力者として就任していました。

1989年(昭和64年)に発生した第二次天安門事件の直後に全職務を解任されて失脚した趙紫陽に代わり、江沢民(こう たくみん)が鄧小平によって党総書記・中央政治局常務委員に抜擢され、更に鄧小平主席から党中央軍事委員会主席の地位を継承しました。

江沢民(こう たくみん)が1993年(平成3年)に国家主席に就任して以来、最高指導者が総書記・中国国家主席・党中央軍事委員会主席を兼任して権力を一元化するようになったことも歴史的なことでした。

江沢民(こう たくみん)は、共産党の独裁体制を維持しつつ経済発展を推進、外資導入と世界経済のグローバリゼーション化の動きに適応し「世界の工場」とまで呼ばれる世界最大の製造・貿易大国へと中国を変貌させる基礎を築きました。

また、懸案であった中台関係も強硬路線を歩み、その強硬姿勢が世界から非難を浴びた時期もありました。

その強硬姿勢として、1999年(平成11年)には15年ぶりとなる大規模軍事パレードを挙行し、軍事力を誇示したことにも表れていました。

しかし、江沢民(こう たくみん)のこうした積極的政策は、経済発展したものの、国民における貧富の格差が助長され、都市と地方農村の地域格差といった格差社会、汚職の蔓延、そして環境破壊による公害などの負の遺産も残したと評価されています。

その後、彼は2002年(平成14年)江沢民(こう たくみん)自ら提唱した「3つの代表」理論と言われる、「中国共産党は先進的生産力・先進的文化・最も広範な人民の利益を代表する」という理論を中国共産党の指導思想として党規約に追加したことで有名になりました。

その後、江沢民(こう たくみん)は総書記・政治局常務委員を退任し、翌年には中国国家主席も退任しました。

2004年(平成16年)には、憲法改正が行われ、江沢民(こう たくみん)の提唱する「3つの代表」理論が「マルクス・レーニン主義」・「毛沢東思想」・「鄧小平理論」とともに中華人民共和国の国家理念として憲法前文に追加されたことでも実績となりました。

しかし負のイメージとしては、自身に身近な人物を周辺に置き、「上海閥」といわれる派閥を形成し、枢要な地位に就けてたことにあります。

総書記退任後も党中央軍事委員会主席に留任したほか、党の最高指導部である政治局常務委員の過半数を自派閥(上海閥)で固めたということでした。

しかし、2006年(平成18年)には、江沢民(こう たくみん)の地盤である上海市における多くの幹部職員が汚職容疑で摘発され、「上海閥」は大打撃を受けることになり、その結果、江沢民派の官僚はかなり減少し、胡錦濤(こきんとう、後述)が権力の掌握を確実なものとしていくことになりました。

⑤胡錦濤(「こきんとう」中国語発音「チャン・ツェーミン」)

胡錦濤(こきんとう)の在任期間は、2002年(平成14年)~2012年(平成24年)です。

2002年に党総書記に選出され、翌2003年(平成15年)には、中国国家主席に就任しました。

胡錦濤(こきんとう)は、中国を「民主文明を持った政治大国」とするべく、漸進的な政治改革を進めたと評価されています。

胡錦濤(こきんとう)は、国務院総理にした温家宝(おんかほう)と共同して、科学的発展観に基づいてた「和諧社会(矛盾のない調和のとれた社会のことを意味)」「小康社会(いくらかゆとりのあると言う意味)」というスローガンを掲げて所得格差の是正や安定成長に努力しました。

一方では、2004年(平成16年)には、四川省で暴動が発生し、中華人民共和国建国以来で最大規模のものとして一時は驚きをもって世界に配信されました。

胡錦濤体制の下、国内総生産(GDP)は、世界2位となり、2008(平成20年)に発生した世界金融危機では4兆元の超大型景気刺激策と言われた政策を実施、いち早くV字回復で金融危機を抜け出したことでも注目されました。

さらに、農村部住民に対しては、農村戸籍の廃止を地域限定で踏み切り、保険制度を導入し、人口9割超をカバーする国民皆保険を打ち出すなど胡錦濤独自の政策を行った点は評価されています。

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2008年(平成20年)胡錦濤は、再び国家主席になり国家中央軍事委員会主席に就任しましたが、自身と同じ「共青団」出身である李克強(りこっきょう)氏を次の党総書記にできず、江沢民の上海閥が推薦する習近平(しゅうきんぺい:後述)が次の党総書記に就くなど、江沢民色の強い上海雑の影響力は依然残っていました。

それでも、2007年(平成19年)の全人代で胡錦濤の勢力が躍進し、更に権力は強固なものになりました。

その後、2011年(平成23年)には、米国への公式訪問など外交上も旺盛な姿勢を示しましたが、翌2012年には中国共産党総書記及び中央軍事委員会主席を退任しました。

更に2013年(平成25年)には、中国国家主席及び国家中央軍事委員会主席も退任しました。

⑥習近平(「しゅう きんぺい」中国語発音「シー・ジンピン」)

習近平氏は、現役の中華人民共和国の最高権力者として中国国家主席になります。

胡錦濤氏の後を継ぎ、2012年(平成24年)より現職で2019年現在7年目を迎えています。

2012年(平成24年)中国共産党の全人代にて胡錦濤・温家宝ら、いわゆる第4世代指導者が引退し、習近平氏が政治局常務委員に再選され、党の最高職である中央委員会総書記と軍の統帥権を握る党中央軍事委員会主席に選出されました。

また、2013年(平成25年)には、中国国家主席・国家中央軍事委員会主席に選出されたことにより、党・国家・軍の三権を正式に掌握するに至っています。

これにより、李克強を国務院総理(首相)に任命、中国共産党の第5世代である習・李体制を本格的に始動させることになりました。

その後、緩やかにこの習・李体制を固めて行き、2017年(平成29年)に、党規約の中で「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」(習近平思想と言われています)を明記させることで、自身の権力を確たるものとしました。

この個人の名を冠した思想を党規約に盛り込むと言うことは、毛沢東・鄧小平以来とされています。

習近平(しゅう きんぺい)の場合、共産党組織の波及度を飛躍的に伸ばす意味を含めて、「党建」という組織制度を推し進め、企業への統制を強めているとの事で、2017年では外資系企業の7割にこの「党建」があると言われています。

さらには、彼の言葉で言う「党領導一切(共産党が全てを領導するという意)」や「一帯一路」「中国の夢」等の文言も党規約に盛り込まれています。

更に、習近平主席の権力意識の象徴的なことは、2018年に憲法で規制されていた中国国家主席と国家副主席の任期を2期10年とする法を撤廃させ、自身が終身主席の地位に付ける芽を持ったと言うことになりました。

このことは国内外に非常に大きな反響を呼ぶことになりました。

また、中国副主席の地位には、既に高齢のため定年により党政治局常務委員を退任していた習近平の盟友である「王岐山」を国家副主席に就け、2人ともに任期無制限となった習国家主席と王国家副主席による「習・王終身体制」が事実上確立したとする見方が大勢を占めました。

(4)まとめ

中華人民共和国建国以来の6名の主席に関して、その概略をご紹介しました。

13億人を擁する中国のトップであり、その影響力は絶大なものだと言うことをご理解して頂けたと思います。

しかし一方では、中国共産党内での権力闘争、派閥闘争等の陰湿な影響下においてTOPの座を射止めていくという姿勢が、非常にアジア的であると言えます。

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