韓国財閥とは?経済を支配?ランキング、歴史

韓国

今回は、韓国における財閥について特集してみたいと思います。

今もなお、韓国における財閥は韓国経済において現実問題として存在し支配し、世界的に有名であることに違いはありません。

その中で韓国経済の歴史や有名財閥ランキングも紹介したいと思います。

つまり、世界的に有名になった企業が名を連ねており、紹介する韓国にある財閥の中でも著名な企業が多いと言うことでも理解できます。

ここでは、まず韓国の経済実態についてご紹介します。

その後、ここで言う「財閥」という言い方は、どのようなものなのかについて先にご紹介し、具体的に韓国における財閥にはどのようなものがあるのかを各々についてご紹介します。

なお、「財閥」と言えばある意味「消極的・批判的」な意見が多く、「悪い」「おどろおどろしている」「不気味」等のイメージを持たれている人もいると思います。

しかし、資本主義社会においては、決してそうではなく地縁・血縁で結びついた経済組織であるという、ある意味「積極的・肯定的」な経済効果をもたらす組織としてもご紹介したいと思います。

(1)韓国経済の実態

それでは、ここで韓国(正式名称は「大韓民国」)の経済状況はどのような状況なのかを韓国の国全体を通じて再認識のために、日本との比較においてご紹介したいと思います。

① 韓国経済の名目GDP比較

2018年のIMF(国際通貨基金)によって発表されたものでは、韓国が、1兆,6,200億USドル、日本は、4兆,9,700億USドルで、韓国経済は日本の3分の1程度だと言えます。

② 韓国経済の実質GDP成長率

2019年度の実質GDP成長率が、韓国銀行(韓国における中央銀行、日本で言う日本銀行のような銀行)の発表によれば、2.6%になる予測(2019年2月発表数値)だと言うことです。

これは、昨年の成長率2.7%よりもマイナス0.1%の見込みになります。

日本では、2019年6月に内閣府の発表したデータでは、対前年の成長率は2.1%となる見込みになっています。

③ 韓国経済の産業部門別のGDP構成

韓国では、サービス業が57.6%を占め1位、工業が39.5%、農業が3.0%となっており、やや歪(いびつ)な経済構造になっていることが分かります。

日本においては、区分の方法が異なるため一概に比較することはできませんが、製造業で20%前後、サービス業でも20%前後、農業で数%となっています。

農業分野は、よほどの農業立国をしている国でなければ高い比率は望めませんが、これは韓国も日本も同じことが言えます。

しかし、製造業とサービス業の構成比率の相違点はやはり、韓国とは大きく異なることが言えます。

④ 韓国経済の労働人口・失業率

韓国における労働人口は2018年度統計で2,682万人になり、失業率は同年度3.8%になります。

一方日本での労働人口は6,664万人で、失業率は同年2.4%となっています。

労働力では日本の4分の1、失業率は1.6倍という数値が示されています。

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⑤ 韓国経済の輸出入総額

韓国の場合、2016年度と少し古いデータですが、輸出総額が4,955億ドル、輸入総額が4,061億ドルと輸出に依存している事が見てとれます。

日本の場合、2018年度の実績では、ドル換算(1ドル100円)とした場合、輸出総額が8,148億ドル、輸入総額が約8,270億ドルになっており、日本のおおよそ2分の1程度の規模である事が分かります。

日本ではこの年若干の輸入超過になっています。

以上のような韓国の経済状況にあって、韓国の財閥の果たす役割は非常に大きなものであり、影響力だけでも想像を絶するに余りあるものがあります。

そうした財閥が、そもそも韓国で成長するようになった歴史的経緯などを含めて次に紹介しましょう。

(2)韓国経済財閥の歴史

① 韓国財閥の歴史的発端

我国日本にも過去「財閥」はありましたが、その発展過程と終焉に関しては韓国財閥とは大きく異なっています。

韓国における財閥が如何にして発生し、その力を伸長させ現代社会にまで影響が続いているかを歴史的側面から見てみることにしましょう。

まず歴史上で大きなインパクトとなった朝鮮戦争に端を発します。

朝鮮戦争は、1950年6月に勃発した北朝鮮(朝鮮民主主義共和国)との戦争で、金日成率いる北朝鮮軍が中華人民共和国と当時のソビエト連邦の同意・支援を受けて、事実上の国境線としていた北緯38度線を越えて韓国に侵略を仕掛けた戦争です。

この戦争により韓国は疲弊することになります。この苦境こそが韓国における財閥の形成の発端になりました。

② 韓国財閥の政府による育成保護

1963年(昭和38年)に、朴正熙(パク・チョンヒ:日本語ではボク・セイキと読みます)氏が大統領に就任し、当時の軍事政権を引き継ぎました。

韓国は、そもそも資源が少なく人口も多くは無かったため、戦争による貧困から脱することが難しかったようです。

彼はそのため、韓国経済の建て直しを優先課題としました。

その方策として、日本に援助を求めたことから財閥の歴史が産声を上げ始めることになりました。

そもそも、朴正熙大統領は、日本の陸軍士官学校に留学しており、日本名を「高木正雄」と言われ、当時の外国人留学生の中でも首席で卒業したと言う優秀な人物でした。

当時日本は、日本の傀儡政権である「満州国」に軍を駐留させており、彼はその軍に所属していた経歴があります。

そこで、彼はこの個人的な経歴をフルに活用し、日本の中枢部とコンタクトをとるようになりました。

彼の周辺幹部には、親日家が多くいたことにも頷けます。

そして、1965年(昭和40年)には「日韓基本条約」を調印するに至ります。

この条約が、韓国の財閥形成の起爆剤になったことは歴史が証明しています。

この条約に関する概要は、日本から総額8億ドル(無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル)の支援を受けるようになり、これは当時の韓国の国家予算の約2倍の額になっていました。

この「日韓基本条約」に基づく日本からの支援により、韓国政府が産業育成を主導し、いわゆる「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる韓国版高度成長の波に乗り始めます。

その波を後押ししたのが、1964年(昭和39年)、ベトナム戦争へ韓国軍をアメリカの要請で派兵したことでした。

この結果、韓国国内ではベトナム戦争特需を生み出しました。

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そのような中から「韓国の財閥」である「現代(ヒュンダイと読みます)」のような財閥が台頭し始めることになります。

つまり、政府と財閥の癒着構造が出来上がり、財閥は横断的なカルテルを形成することになります。

肥大化の典型的なパターンとしては、企業周辺の中小零細企業を不利な状況に追い込むことでそれらの企業を吸収して行く手法がとられました。

それが実現できたのも、軍事政権によって韓国財閥に有利な税制や補助金制度を拡充化し財閥企業の権益を認めるようにしました。

③ 韓国財閥の日本による成長支援

軍事政権における大統領である朴正熙氏は、かつて日本軍に在籍していた当時の上司である、瀬島龍三氏(当時は伊藤忠商事の取締役)をキーパーソンにして、日本による技術支援策など、多くの日本企業を韓国と積極的に関わらせるようにしました。

こうして日本政府による金銭支援のみならず、人的支援も拡大して行きました。

④ 韓国財閥の長期軍事政権との癒着

軍事政権との癒着による資本の集中化により、いわゆる「雪だるま式」に巨大化していった財閥ですが、通算で約30年間に及ぶ軍事政権下でそのシステムも強固なものになりました。

つまり、朴正熙大統領に続き、全斗煥大統領、盧泰愚大統領の三代の大統領の就任期間中の軍事政権(1963~1993年)で韓国財閥との密接さを増すことに努めたことで確固たるポジションを得たと言うことになります。

軍事政権側では、財閥を形成することで財閥傘下の企業従業員自体が莫大な票田になり、それらを獲得することで、財閥企業そのものが軍事政権を維持するための巨大集票マシーンとなりました。いわゆる産軍両者によるwin-winの状況にあったことは確かです。

⑤ 韓国財閥と軍事政権の亀裂

朴正熙大統領に引き続き軍事政権下で大統領になった全斗煥大統領の時代には、軍事政権の思惑と大統領個人の蓄財と言った負の側面が表見化するに至っています。

内容的には、全斗煥大統領が自らの私的な財団である「日海(イルヘ)財団」への献金を各財閥に要請したことに対して、消極的な姿勢をとった当時の「国際グループ」という釜山に本拠地を置く財閥(企業群)がありました。

この企業群に対して全斗煥大統領は自らの意向に沿わなかったとして、銀行からの融資をストップさせたりして、解体させたことは産軍の亀裂として受け取ることが出来るでしょう。

⑥韓国財閥の挫折

1997年(平成9年)アジア通貨危機が発生しました。

この時には韓国経済にも大打撃が加えられ、大量倒産、大量失業が連鎖し、財閥の解体にまで至りました。

つまり、韓国国家経済がIMF(国際通貨基金)の管理下に入り、経済支援を受けた見返りに、金大中政権が現代財閥の分割、大宇財閥の解体等が行われました。

ここに韓国10大財閥と言われた一角が崩れ、挫折を味わったことになりました。

なお、この時にIMFより援助を受けた借入金は、2001年8月に返済し、別のアジア開発銀行からの借入金に対しては2005年に完済されました。

(3)韓国「財閥」の定義

上には、韓国における財閥の概要をご紹介しました。

そもそも韓国「財閥」の定義とはどういった内容になるのかを改めてご紹介しておきたいと思います。

韓国「財閥」という言葉は、1900年(明治33年)前後に日本において使用し始められた「造語」です。

英語では、戦前の財閥を示すものに「family-run conglomerates」とかありますが、現代では一般的に「company syndicate」、「financial clique」、「financial combine」とか表示されます。

また、財閥の存在自体が、世界的に影響力があることから英語でも特に、韓国の財閥を示す場合、韓国語からとった「chaebol(チェボルと読みます)」と言ったりします。

また日本の場合は単に「Zaibatsu」と言ったりします。

さらに、当初この韓国「財閥」の意味する所は、同郷の富豪を指し示していましたが、明治末期には同郷に限らず一般に富豪の一族を意味するようなりました。

現代では、この韓国財閥の事を次の定義で示しています。

「財閥とは、家族または同族によって出資された親会社(持株会社)が中核となり、それが支配している諸企業(子会社)に多種の産業を経営させている企業集団であって、大規模な子会社はそれぞれの産業部門において寡占的地位を占める。

または、中心的産業の複数部門における寡占企業を傘下に有する家族を頂点とした多角的事業形態」ということになっています。

つまり、1業種だけで大きな規模を示すのではなく、種々の業種を交えた企業群になってることが特徴になっています。

(4)韓国における財閥

さて、いよいよ本題である「韓国の財閥」にはどのようなものがあるかをランキング順に各々ご紹介したいと思います。

上の歴史にも書きましたが、1960年代後半以降、国家主導で大規模な設備投資が行われ韓国国家経済をけん引してきたのが韓国財閥になります。

今でも韓国では10大財閥と言われる財閥が大きな経済を握っています。

少し古くはなりますが、2011年(平成23年)における10大財閥の売上高占有比率を見てみましょう。

韓国10大財閥の売上高総額は946兆1000億ウォン(約66兆円)で韓国の国内総生産の76.5%と実に4分の3が10大財閥によって構成されています。

この時の構成比をランキング形式で見てみましょう。

韓国10大財閥ランキング

1位 サムスングループ 21.9%

2位 現代・起亜重工業財閥 12.6%

3位 SK財閥 11.7%

4位 LG財閥 9.0%

5位 GS財閥 5.4%

6位 現代重工業財閥 5.0%

7位 ロッテ財閥 4.5%

8位 ハンファ財閥 2.8%

9位 韓進財閥 1.9%

10位 斗山財閥 1.7%

以上韓国10大財閥の売上高でみたランキングを示しました。

○○グループと称してはいますが、全て○○財閥と読み替えても、それが一般的な見方になります。

次に上記に示した韓国財閥の上位4グループの詳細をお示すするとともに、韓国財閥の歴史の項でもご紹介しました財閥解体で解体された大宇グループについてもご紹介しておきます。

①サムスングループ

サムスン財閥の概要

韓国で現代でも今もなお、No.1グループ(財閥)になります。

その中心は、韓国最大手の総合家電・電子部品・電子製品メーカーのサムスン電子であり、以下に他の主だったグループ会社を列挙します。

サムスン電機(総合電子部品企業)
サムスンSDI(薄型パネル・電池製造)

サムスン重工業(造船・プラント生産)

サムスン物産(商社事業・建設事業)

サムスンエンジニアリング(プロジェクトマネージメント事業・サービスソリューション事業)

サムスン生命(韓国最大の保険会社)

上記は主だったグループ会社で、総計60社以上のグループ会社を擁しています。

▲サムスン財閥の歴史

サムスングループの創始は、1938年(昭和13年)に設立された三星商会(現在のサムスン物産)が始まりとされています。

1948年(昭和23年)には、三星物産公司を設立。

その後、当時困窮する国家の中で、一番需要が高かった砂糖と服地生産を主業として、第一製糖(1993年(平成5年)グループ離脱)と第一毛織が創設されました。

その後、60年にわたり、各時代に必要だった製糖、纎維、電子、航空及び機械、化学、大型船舶製作、金融など多方面の事業を展開し財閥化して行きました。

また、経営戦略の方策により1999年には2.2兆ウォンだった売上高がわずか5年の2004年には15兆7千億ウォンと飛躍的な成長を遂げています。

しかし、全てが順風満帆の経営であったわけではなく、前項でも紹介しました「アジア通貨危機」により財閥解体の危機にさらされました。

結果、自動車生産をフランスのルノーに売却し「ルノーサムスン自動車」とせざるを得ませんでした。

同族経営

これほどに巨大な企業群が同族経営であることからも、財閥と呼ばれる所以ですが、サムスン社の場合それが「李一族」と言われる方々で固められています。

創始者の「李秉喆(イ・ビョンチョル)」氏は日本の早稲田大学を中退している親日家でもあり、同族の方々はアメリカの有名大学卒業者が多いなど、その経歴も高いものになっています。

韓国における企業経営においては、非常に「当たり前」の形態で「近くの他人より遠くの肉親」という精神が儒教精神に基づき形成されている様子が伺えます。

他の財閥でも同様に同族がグループ企業の各々のオーナーになっています。

サムスングループのスキャンダル

サムスングループにおける裏の顔が2007年(平成19年)に朝鮮日報の新聞記事で公表されました。

いわゆるサムスングループによる裏金工作資金問題と言われるものです。

これは、自社社員の知らない間に架空口座を設け、そこに現金<公表段階では50億ウォン(約6億3,200万円)>を超える現金及び株式が預け入れられたと言うものでした。

更には他に役員や従業員名義の借名口座を不正使用し、1兆ウォン(約1,263億5932万円)もの裏金を蓄財したと言うものです。

主にこれらの裏金は、2002年に実施された韓国大統領の選挙資金に提供、また政治家・判事・検事などに特別手当と称して支給するといったロビー工作に使っていたとも言われています。

この為、韓国における政官界は未曽有のスキャンダル事件として、2007年には「サムスングループの裏金疑惑に関する特別検事任命法案」を国会に提出されるほどになり、法案成立後2008年より検察官による捜査が始まりました。

その後、李一族に対して数々の刑が宣告されましたが、韓国国内世論では財閥の負の部分としてある程度静観していたという事実は、韓国国内での財閥の違法行為が容認されていると考える学者も多くいました。

②現代・起亜重工業グループ

現代財閥の概要

当初、現代(ヒュンダイ)財閥として名を成した財閥で、鄭周永(チョン・ジュヨン)氏によって創設された韓国財閥になります。

かつては「現代自動車」及び「現代重工業」などを傘下にもつ財閥でした。

この財閥もアジア通貨危機以前と以後には大きく変わり、財閥解体の憂き目にあった財閥でもあります。

ここでは、その財閥解体前後についてもご紹介したいと思います。

現代財閥の解体以前

現代財閥は、その傘下に現代自動車を初め、造船、建設、海運、電子工業など、様々な業種の企業を傘下に持つ一大財閥でした。

主な、傘下企業は以下の通りになっていました。

現代自動車(韓国最大の自動車メーカー。1997年に経営破綻した起亜自動車を買収し経営統合)

現代造船所(韓国で初めて造船業に進出。のちに現代重工業に改称)

現代商船(Asia Merchant Marineとして発足、その後「現代商船」に改称)

現代電子産業(電子機器・部品製造)

現代財閥の解体以後

韓国におけるアジア通貨危機に際して財閥が解体されましたが、現代財閥も解体され以下に示す4つのグループに再編されてしまいました。

アジア通貨危機による財閥解体が1997年に行われましたが、現代財閥では解体開始前に起亜自動車との経営統合がなされたことから、現代・起亜自動車グループとして2000年(平成12年)に財閥から分離されることになりました。

さらに、翌年の2001年(平成13年)には現代建設及びハイニックス半導体現代グループのから分離されることになりました。

後者のハイニックス半導体は分離後、SKハイニックスになっています。

また、現代重工業も2002年(平成14年)には財閥から分離しています。現在、現代財閥を形成した各企業群は次の4つになります。

現代峨山、現代商船を中心としたグループ

現代-起亜自動車グループ

現代重工業グループ

現代百貨店

この4つのグループにおける各中心企業の総帥は、やはり、創業者の血縁関係(息子やその妻)にあり、外見上経済的な財閥形成にはなっていないだけであるとの見方も多く言われています。

しかし、自動車などではアメリカで「Hyundai」ロゴや、「KIA」ロゴが良く見かけられ、コンパクトカー市場では依然として強い市場占有性を有しているとされています。

現代財閥の歴史

そもそもの現代財閥のスタートは、1934年(昭和9年)に遡り、韓国京城に米問屋の「京一商会」を設立したことに始まるとされています。

その後、1946年(昭和21年)に韓国の首都ソウルで「現代自動車工業社」を設立し、主に自動車修理業を行いました。

翌1947年(昭和22年)には「現代土建社」を設立し、後の現代建設の礎を築き始めました。

更に、1967年(昭和42年)には、「現代自動車」を設立し、翌年韓国国産車として「コルティナ」の生産が開始されました。

1972年(昭和47年)には、韓国で初めての造船業として韓国蔚山で「現代造船所」を設立、その後「現代重工業」としてスタートを切りました。

1976年(昭和51年)には、アジア・マーチャント・マリンを創業、後の「現代商船」になりました。

1983年(昭和58年)には現代電子産業を創業しましたが、財閥解体で後のSKハイニックスになりました。

財閥解体などの試練を経て、今なお現代グループのDNAを持つ企業が韓国経済界でも大きな影響力を持っていると言えます。

③SKグループ

SK財閥の歴史と概要

そもそも、このSK財閥の発端は、1939年(昭和14年)に、日本によって設置された「朝鮮総督府」時代に、韓国京畿道水原市において日本の資本で創業された「鮮満綢緞(ソンマンジュダン)」と、日本の「京都織物」が合弁で作った「鮮京(ソンギョン)織物株式会社」にあります。

この「綢緞(ジュダン)」は、シルクを示す韓国語から取ったようです。

現代に至るまで「SK」とは、この「ソン=S」と「キョン=K」の合成ロゴになっています。

その後、第二次世界大戦で敗戦した日本は、韓国より撤退しその後を継いだのが、製造部長であった崔鍾建(チェ・ジョンゴン)氏でした。

時に1953年(昭和28年)のことです。

その後のことは、年表風にご紹介しましょう。

1956年(昭和31年)紡績・繊維業に事業の主力を置き法人化。

1973年(昭和48年)鮮京油化を設立し石油精製に進出、更に重化学工業部門、建設部門進出、ウォーカーヒルのホテル・カジノ運営に進出。

1976年(昭和51年)財閥本体の繊維部門が総合商社となって鮮京(ソンギョン)と改称

1980年(昭和55年)韓国国営企業の「大韓石油公社(略称:油公、ユゴン)」を国からの払下げを受ける

1994年(平成6年)韓国国営企業の「韓国移動通信」の払い下げを受けて「SKテレコム」に改称

1998年(平成10年)全てのグループ企業のロゴを「SK」に改称

2007年(平成19年)持ち株会社化によってそれまでの複雑な「循環出資」に基づく経営構造を解消

2015年(平成27年)韓国の産業用ガスメーカーのOCIマテリアルズを約510億円で買収

SK財閥で発生したスキャンダル

上にご紹介しましたように、順風の歴史を歩んできたようなSK財閥ですが、近年スキャンダルが取り沙汰されることが増えてきました。

ここでは、SKグループの引き起こしたスキャンダル事件をご紹介しましょう。

2011年(平成23年)には、SKグループの創業者崔鍾賢の甥であり、M&M グループの会長でもあった「崔哲源(チェ・チョルォン)」氏が暴行罪で懲役1年6月の判決を受ける事件がありました。

更に、翌々年の2013年(平成25年)には、「崔泰源(チェ・テウォン)」会長が、特定経済犯罪加重処罰法という経済犯罪での背任容疑で逮捕され、実刑を受け服役しましたが、2015年(平成27年)には、当時の大統領である朴槿恵(パク・クネ)大統領による特赦を受けるに至っています。

最近では、SK財閥のSK建設が受注したラオスのダム決壊事故により、50億立方メートル以上の水が、ラオスの7ヶ村を押し流し、数百人に上る行方不明者を出し、7千名の被災者が発生しました。

SK建設は、「ダムが崩壊したのではなくダムが氾濫した」と当時は主張していましたが、ダム決壊の7日前から兆候があり、韓国人職員53人は既に避難して、全員無事だったことに対してバッシングが巻き起こり、後にダムが決壊したことを認めるに至ったことは記憶に新しい所です。

④LGグループ

日本でもその電化製品をよく見るようになったり、スマホのメーカーであったりするLGですが、そもそもこのLGは、韓国でも有名な財閥企業群です。

その名称である「LG」の由来は、元々「ラッキー金星グループ」という名称で事業を行っていたことに由来し、「Lucky Goldstar」の頭文字「L」と、「G」を合わせて「LG」として全世界に知れ渡った名称となりました。

歴史的には、1947年(昭和22年)に発足した化学会社である「樂喜(ルクフイ)」という会社が起源になります。

その後、1960~1970年代の朴正煕政権時代に隆盛し、「GOLDSTAR」というブランドを掲げ、家電・エレクトロニクス分野を中核として急成長しました。

社名も「金星社→LG電子→LGエレクトロニクス」となりました。この他、化学、電気、コンビニ、ガソリンスタンド、建築等を有する一大財閥になりました。

その後、財閥解体により、以下の3グループに分離させられました。

LGグループ(電気・化学分野の企業群で、本家筋になります。)

GSグループ(コンビニ等のサービス業や建築業を主体としています。)

LSグループ(電線関係の企業群のグループです)

ここで、LGグループから分離した企業グループとは言えその実情は、まだまだ同一グループとしての機能を有しています。

分離した時に決めた各グループの名称「LG」「GS」「LS」は全て、「Lucky・Gold・Star」から取られていることからも明らかです。

⑤大宇財閥

この大宇(テウ)財閥は、アジア通貨危機に伴う財閥解体で最も大きく影響を受けた財閥になります。

つまり、結果的に完全解体にまで進んだ財閥になります。

そもそも、この財閥はアジア通貨危機による経済破綻に直撃された財閥と言っていいですが、破たん前は、現代財閥に次ぐ第二位の韓国財閥企業群となっていました。

大宇財閥の破たん・解体

破たんし、解体される過程で、グループ会長であった「金宇中(キム・ウジュン)」氏が43兆ウォン(約4兆900億円)を持ち、ヨーロッパへ逃亡したというスキャンダルがありました。

2005年(平成17年)ベトナムから帰国後には、背任罪で2006年(平成18年)に懲役10年と210億ウォン(約25億円)という過去最高の罰金を科す判決を受けたことでも話題になりました。

なお傘下の企業は債権団の管理下で、順調に再建を果たし建設機械で韓国最大手の「大宇総合機械」を筆頭に売却が開始されました。

また、今も尚「大宇」の名称を使用している会社として、大宇インターナショナル(ポスコに売却)、大宇造船海洋、大宇建設や大宇証券(両社とも韓国産業銀行へ売却)、大宇自動車販売等があります。

(7)まとめ

以上、韓国における「財閥」に関して詳述させて頂きました。

2019年現在では、上記財閥の色は薄れてきましたが、それでも企業力(底力)のあるところは、今後も生き残っていくことになるでしょう。

冒頭ご紹介した韓国経済の状況からも、韓国が一丸となって世界に踊り出でるためにはこうした企業グループも必要になって来ると思われます。

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